昔、建築は竪穴式住居や高床式倉庫だったが、今はどうだ。都心部ではもう、40階建ての高層ビルが当たり前である。それを可能にしたのはテクノロジーだ。いつの時代も、最新のテクノロジーが文化を進化させてきた。

そのテクノロジーを陶芸に付与しようとしている一人の若者がいる。奈良祐希という陶芸家だ。

失礼、彼は建築家でもある。奈良の陶芸作品は、建築に用いられる3DCADとプログラミングを駆使してつくられている。たとえば、「ろくろ」のような伝統的な技法が主流である陶芸の世界において、文字通りの異端と呼べよう。

陶芸家であり建築家──。そんな彼の作品が、いま世界中で注目を浴びている。コレクターの代表格には根津美術館の根津公一館長がおり、最近、メディアを頻繁に賑わす東証一部上場企業の経営者も彼の熱烈なファンなのだ。ちなみに奈良は、B-OWNDというアート・工芸×ブロックチェーンのプラットフォームにも参画し、作品はWEB上で世界中に開放するというのだ。

いわゆる二刀流、パラレルキャリアではあるが、ややもすればどちらも中途半端になりかねない諸刃の剣。奈良は見事にそれぞれで唯一無二の世界観を見せつけ、陶芸家である自分と建築家である自分をうまく差別化することに成功している。

これから彼の頭の中を旅していくのだが、アーティストとしてではなく、社会人としての彼の考えに着目して読んで欲しいと思う。

血を恨んだ過去。才能がないと嘆き、逃げた

まるで白い骨が花を咲かせたかのような陶芸作品「Bone Flower」。

見るものの目を奪い、魅了するこの作品の生みの親である奈良は、350年以上の歴史を誇る茶陶の名門、大樋焼(おおひやき)の本家長男だ。祖父は文化勲章受賞者、父は現代アーティストとしても活躍している。

「この家系だ。幼少期から陶芸家の英才教育を受けてきたのだろう」と想像するが、実は違う。奈良が陶芸をはじめたのは20代後半から。むしろ、子どもの頃は反抗心から土には一切触ろうとしなかった。

小学校の教諭をはじめとする周りの大人たちは、当然のように奈良の家庭環境を知っていた。例えば図工の時間、「奈良くんは当然うまいものを描くよね」と期待されることが嫌だった。あるとき、奈良なりに一生懸命に描いた祖父の似顔絵を、美に極めて厳しい当人から「なんやこの気持ち悪いもんは」と言われてトラウマに。周囲の余計な期待と親類の厳烈すぎる価値基準が、奈良をいっそう芸術の世界から遠ざけた。

「高3までやっていた野球は練習すればするほど上手くなれた。けど、芸術は練習では上達できない部分が大きいような気がした。僕、絶対向いてないわって思って逃げていたんですよね」

一方で、祖父と父が命をかけて向き合っている陶芸というものが、気になってはいた。そこで、高3になり進路を考え始めたとき、いままで嫌厭して足を遠ざけていた祖父と父が働く工房をのぞいてみた。すると、何かが心に響いたのだが、「陶芸はやりたくない」という昔からの思いがその響きに蓋をする。じゃあ何があるかと考えていたとき、父から“建築”を薦められた。

折しも当時は、金沢21世紀美術館の建設中。奈良は高校の3年間、その建設風景を眺めながら登下校していた。だんだん出来上がっていき、街全体も盛り上がり行く様を眺めているうちに、建築の魅力に自然ととりつかれていたのだ。

人と同じでは意味がない。自身を証明できないことは退屈だ

思い返すと、祖父からも父からも「陶芸家になれ」と強要されたことはなかった。それは2人が共に“フロンティア”だったからだろう。

大樋家はもともと、茶盌のみを作っていた家系だ。それを祖父が茶碗づくりの傍ら花入や飾壷などのオブジェをつくるようになり、それを見て育った父は、伝統と現代アートの両輪を歩んでいくようになった。

自分で道を切り拓くことが、もはや当たり前だった大樋という血。だからこそ奈良は、誰からも陶芸を押し付けられることなく、自分はどう生きていくべきかをまっすぐに考えてこられたのだ。

「その点は、本当に感謝しています。もし陶芸家になれって言われて育っていたら、大学も建築科じゃなくて陶芸科に進んでいたと思う。でもそれって、親が決めた人生。レールから外れたからこそ新しい概念が生まれたと思うんですよね」

奈良が陶芸をやるうえで決めたテーマは「革新的な陶芸」。自分が学んできた建築を、いかに陶芸とコンプレックス(複合)させるか。それはいまも変わらぬ命題だ。

在学中にその命題と真剣に向き合った結果生まれたのが、卒業制作展で発表した現在の「Bone Flower」の先駆けとなる作品。名前の由来は、その作品を見た祖父が漏らした「白い骨の花みたいやな」という言葉だ。

仕事を遊ぶと、余白が生まれる。余白が生まれると、仕事で遊べる

そんな奈良だが、実は会社員でもある。平日は東京の建築設計事務所で設計を担い、休日は金沢の工房で作品づくりを行なう日々。クライアントワークと陶芸家のパラレルワーカーだ。

相反するこの2つのバランスの取り方について問いかけてみた。創作家として、どこまでのこだわりを通すのか、と。

奈良:陶芸では、基本的には自分の思うままに作品づくりを行なえますが、設計の場合、クライアントの方々から様々な要望が入ります。

でも、そのリクエストを全部鵜呑みにしたらダメだと思っています。なぜなら、その仕事を自分がやる意味、つくる意味がなくなってしまうから。ただ、相手がいる限り、その相手に納得いただかなければならない。だから僕は、いきなりアウトプットを出すのではなく、コミュニケーションを事前にしっかりとり、プロセスをきちんと踏むことを意識しています。

この流れで、建築家と大樋の血を継ぐ陶芸家の境目についても問うてみた。

「ないですね」

即答だった。

「仕事である建築をやっているときも陶芸を考え、陶芸をやっているときも建築を考えている。ただ、それだとアイデアが生まれる隙間がない。その隙間をつくるために僕は『遊び心』を大切にしています。

仕事だと思いながらやるよりも、『なんか工夫してやろう』みたいな、いい意味でのエゴを付与するほうがリミットが外れていいアイデアが生まれる。 土ってメンタルの状況を如実に表してくれるんです。『こうしなきゃ』『やらなきゃ』という気持ちだと、焼いてもいい形にならない。心に余裕を持って、余白を楽しむくらいの気概でやるといい作品に仕上がりますから」

振り返ってみると誰にでも昔、嫌いだったものがある、嫌いだったことがある。ただ、今はどうだ。あの頃、意識的に遠ざけていたものが意外と身近にあり、もしかすると現在の自身を構成する上で重要なファクターとなっているのかもしれない。

※Forbes JAPANのWEB記事より転載
構成・後藤亮輔 文・小山典子 写真・小田駿一